生掛けの話素焼きをせずに釉掛けをするお話
乾式掛けの話釉薬を溶かずに施釉するお話。
醤油さしの話醤油さしのこだわり
酒器創作料理「浜町」の酒器
穴窯焼成薪窯で焼成することについてのお話
花入れ投げ入れの花入れ器。大きな竹を受け止めます。
備前土 流れ星薪窯が作るわざのお話。

釉薬 生掛けの話

素焼きをせずに釉掛けをするお話。

釉掛け
この釉薬をどのように掛けるか・・・
   ・・・・釉掛けが最も難しいという人も少なくない。
素地をコーティングし,水漏れを防ぎ,強度を高め,表情を豊かにする釉薬。
現今では,素焼きした素地に水で溶いた釉薬をつけるのが主流。
便利な方法である。素焼きのため水分がさっと引き,すぐに乾く。
施釉後もよく食いつき,剥がれにくい。
生掛けすると,釉薬の水分でボディがへたり,割れる。
さらに施釉後も収縮差で剥がれることもある。
素焼き後に施釉する術は明治以降欧米から学んだ技法だと聞く。
それ以前の名品の中にも生掛け?
生掛けを今一度見直してもよいように思う。
私は同じ生掛けでも2通りに使い分けている。
1つは,うっすらと掛ける方法。生掛けならではの垂れ具合が味わえる。
もう1つはべったり掛ける方法。それでも素焼きと違って釉薬の強弱はつく。
さらには土と釉薬を混ぜ合わせるようにすることもある。
もちろん古式がいいといっているわけではない。
釉をかけるという慣れた操作1つにも様々な陶工の思い入れがあることがわかって頂ければ幸いである。

釉薬 乾式の話

釉薬を溶かずに施釉するお話。

前回述べたように,水で溶いた釉を掛けることが多い。
しかし,ちょっと昔では湿式ではなく乾式もあったようだ。これは粉をまぶすような掛け方。
素地を十分に濡らす,あるいは皿のようなものをかけるとき
側面には糊など塗る工夫が必要になる。
こんな工夫でもたらす影響は何かということだが
一言で「自然に近い」ということかもしれない。
もともと穴窯などで焼成した作品には自然に釉薬が降りかかる。
いわゆる自然降灰釉と呼ばれている。
松の薪は火力を上げるだけでなく,その灰が素地に降りかかり,素地の長石分と反応し釉薬になる。
これを近代的な窯で実現したいときは,よく「吹きつけ」という技法が使われる。
霧吹きに釉薬を入れて薄くスプレーする方法だ。
これで見事なグラデーションを得ることができる。
ただ見事すぎて不自然になる。
釉の厚さが連続的な濃淡になってしまうのだ。
それに比べて乾式法は,分厚くかかったり薄かったり不連続な濃淡を作ってくれる。
適当に灰成分を変えると焦げた所なども作ることができる。
ただ自然降灰釉のようにはならない。
それは釉の濃淡ができる過程が違うからである。
乾式は飽くまで偶然,あるいは重力によって起こる。
自然降灰釉は炎の走る方向と,釉が釉を呼ぶことによって起こるのだ。
特に後半は重要で,いわゆる呼び釉。
一端溶け出した箇所にはさらに灰が乗り,さらに釉を作るからだ。

醤油さしの話

醤油さしのこだわり

澤井醤油からの依頼で,2003年より醤油さしを作っている。
同じ形やデザインのものは1つとしてない。
すべて違った顔をしている。
誰もが気になる液だれ
「秘訣は何か」とよく訊かれる。
「作り方か,使い方か」と聞き返す。
「使い方」をお聞きになるのは上等のお客さん。
「あまりたくさんの醤油をいれないこと」
そして
「漏れぬように上手に使っていただくこと」
と伝える。
「作り方」をお聞きになるのは買ってくれないお客さん。
一言
「ていねいに作ることです」
「ひたすらていねいに作ることです」
と答える。
醤油の口は1mm単位での仕事ではない。
多分0.1mm単位での仕事だと思っている。
「この形だと垂れない」のを見つけるのは量産もののすること。
「この形でも垂れない」ようにするのが私の仕事
それでも4つに1つは漏れてしまう。

酒器

創作料理「浜町」の酒器

京都 木屋町三条上がる
高瀬川のほとりにある創作料理
「浜町」さんからの依頼

1合(180cc)ちょうどの酒器をお作りした。
1合ちょうどを提供してくれる良心的なお店だ。
器が大きくすぎると、もっと入れてほしくなる
小さすぎると、口からこぼれてしまう
作り手も慎重になる。
陶器は焼くと焼き締まり縮むもの。大きさを計算するのは意外と難しい。

酒器には、いろいろな顔がある。
恋人同士で飲むときは
その間を取り持つ控えめな顔
お互いがふれあう唯一の器

仲間と飲むときは
話をすすめる頼もしい顔
何度も傾けあう器

そして何より大切な顔は
一人で飲むとき
酒器だけは自分を見つめてくれる
彼だけは自分の話を聞いてくれる
君だけは自分に話しかけてくれる

酒を愛する人にとって
酒器は大切なひとときの主人公かもしれない

たまには
「浜町」の美味な肴で
君とだけで過ごすのも いいかもしれない

写真:「浜町」1階カウンターにて

穴窯焼成

薪窯で焼成することについてのお話

現在は便利な世の中である。
コンセントからは電気が,コックからはガスが,スタンドでは灯油が売られている。
陶芸だって,これを利用しない手はない。
結果,均一で再現しやすい陶器が生まれる。歩合も大変良い。
しかし「便利」という代償に何かを無くしていないかは必ず考えていかねばならない。
作り手である陶工にとっては必須のことである。

たとえば移動するという手段を考えれてみよう。
徒歩から自転車,バイクに自動車,電車に飛行機
いろいろあるが,我々は時と場合によって,それを使い分けている。
徒歩が一番というわけではなく,飛行機が一番でもない。

穴窯焼成は,かなり古典的な焼成方法である。
といっても現代のそれは昔と全く同じではない。
今では強いレンガがあったり,ゼーゲルや温度計もあったりする。
できるだけ古典的とはいえ,近代的な要素を取り入れられている。
現代人が完全に昔に戻ることは容易ではないからだ。

現代的な焼成窯が何を代償にしたかは一言で言えるものではないが,少なくとも歴史は素直に教えてくれる。
穴窯焼成は大変効率の悪い窯である。
それを少しでも緩和しようと生まれたのが登り窯である。
熱源はどちらも薪。この両者の違いは簡単である。
効率の悪いところが穴窯の長所である。
温度はなかなか上がらない。それが長所である。
たくさんの薪を使わないといけない。それも長所である。
窯内部で温度差が生まれやすい。それまた長所である。

ゆっくりと温度を上げることが大切であることは陶芸をかじった者なら誰だって知っている。
それを簡単にしようとして様々な窯が生まれた。
焼きしまり方が全く同じとは思えない。
薪が少なくてすむといのは灰が少ないわけだ。
穴窯には自然降灰する灰がたくさんあるわけだ。
温度差がないと均一なものがたくさん作れる。
穴窯では不均一さ,すなわち窯変に結びつく要素がたくさんあるわけだ。
こうして生まれてくる穴窯焼成の作品。
我々から便利さを奪って作られた作品。そこに何かを感じてもらえればと思っている

花入れ

投げ入れの花入れ器。大きな竹を受け止めます。

花入れ
ときには大木がさされたり
ときには横に這われたり
見る人の目を喜ばせる華
花入れは、どんな要求にも耐えられなくてはならない
重く、しっかりと作らねばならない
花より目立つようではいけない
花が浮いてしまってはいけない
遙かなる大地のように
彼らを受け止めるのが花入れ
花が投げ入れられたとき
彼もまた息づく
花入れ 高さ40cm強
匠園未生流 もと家元(ご逝去) 御用達
八幡市松花堂美術館玄関にて

備前土 流れ星

class="title">薪窯が作るわざのお話

備前土を使った穴窯焼成
お皿を裏返して
重ねて焼く
間には童仙傍をうつ
五重塔のよう
すると
その間に火が走り
器に緋が走る
いわゆる流れ星
自然が為す跡
人と自然のコラボレーション
これが陶器の魅力かもしれない。
料理屋さんに完売。